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■大垣つれづれ
◇小原鉄心没後140年記念祭
 私が大垣に来て以来、参加している鉄心会が、「むすびの地記念館」のオープンを盛り上げる「にぎわいづくり事業」に参加して、先賢のひとりである鉄心の顕彰事業を行なうことになった。鉄心は明治5年(1872)に亡くなったから、今年は没後140年、記念行事として切りの良い数字ではないが仕方がない。あと5年すると生誕200年になるので、こちらは没後150年の先取りということで割り切り、5月19日に鉄心に関する講演会、20日に墓のある全昌寺で法要、記念茶会と記念酒席を記念館の広場などで行い、21日に鉄心の『亦奇録』現代語版の刊行という日程を組んだ。鉄心が亡くなったときはまだ旧暦であって、命日の4月15日は新暦に直すと5月21日なのである。余談だが新暦の施行は明治5年12月3日で、この日をもって明治6年1月1日としたのだった。鉄心の享年は数えで56歳、満だと誕生日まえなので54歳である。
 『亦奇録』を刊行するのは、この本を鉄心会の集まりでずっと読んできたからで、他にも鉄心関係の書籍をいろいろ読んだが、とくにこれが鉄心の人柄や当時の世相が良く分かる興味深い文献であり、広く知ってもらうためにも、漢文で書かれた内容をいまの言葉に移した版を作ることにした。この「つれづれ」でも幾度かこの本に言及したことがあるが、鉄心たちがこうした自由な日録を、慶応2年(1866)、大垣から江戸に向かって藩の江戸屋敷に2ヶ月滞在、また大垣に戻ってくる旅の時だけでなく、日常的に書き残しておいてくれたら良かったのにと思う。鉄心とかかわりを持った人物の多彩を考えれば、きっと新発見がいっぱい詰まった貴重な資料となった筈である。
 この『亦奇録』を見ても、長州征伐のために勢いが落ちた江戸の町に打ちこわしが横行する様子、いっぽうで外国人が沢山集まり活気に溢れる横浜の発展、またそれによって所得が倍増した八王子あたりの養蚕農家の姿などが生々しく描写されている。また街道沿いの風景から、その都度、背景にある政治のありかたを読み解く鉄心の鋭い眼も注目される。尾張と三河の境に肥沃なのに荒れた農地があると、官が公道での運送業を許可したために農民が稼ぎのいいそちらに勢を出す故とし、大垣藩でも同じことが起きるのを危惧するといった具合である。さらに鉄心の文人仲間との詩や書画の会には、高名な儒、詩人、画家が名を連ねる。もちろん鉄心がこよなく愛した酒との付き合いは、この本の初めから終りまでまったく切れることがない。ただおそらくそれがための病いもこの旅の頃から兆していたのであろう。江戸での一日、激しい嘔吐に襲われて、ついに盃を手に出来ずに終わっている。ところで『亦奇録』の読み、「えききろく」が図書の目録などにも用いる正式のものだが、普段には音便で「えっきろく」と発音していたかと思われる。
2012.5.21

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